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医王寺の境内

『日本博覧図 静岡の部』東京精行舎発行

静岡県明治銅版画

静岡県明治銅版画

写真は東京精行舎発行の「日本博覧図 静岡県の部」に掲載された銅版画です。静岡県の中で、368ヶ所の風景が収録されていたそうですが、その中のひとつとして、鎌田山医王寺があります。

静岡県下の明治時代の社寺、小学校、地域の名望家、農・工・商家を中心として、その周辺の風景である山河、田畑、市街のほか、通行人や馬車までも詳細に描かれています。
驚くべきことに、それぞれの銅版画が鳥瞰図になっており、航空写真と比べても、決して見劣りしないほど素晴らしい出来のものばかりです。約120年ほど前の明治時代の様子を知る上で、貴重な文化遺産と言えるでしょう。

日本博覧図に掲載されている鎌田山医王寺の境内は、現在の医王寺とはずいぶん変わってしまっていますが、堂塔伽藍のおおまかな配置は、現在と変わっていません。

もっとも大きな変化は、銅版画の中心にある、木造洋式三階建の「坊中学校」が焼失してしまっていること。中央奥側の境内部分に「墓地」が造成されていること。大きな瓦屋根の「薬師堂」が別のお堂に代わっていることです。

山門

医王寺の絵葉書 山門 昭和初期の様子

医王寺の山門は、弘化4年(1847)11月に建立されたと伝えられています。山門は4本の柱により支えられており、2本だけで支える通常の山門よりもはるかに、ずっしりと重量感のある造りになっています。総けやき造りの山門で、山門の扉はけやきの一枚板(198㎝×99㎝)になっています。

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薬師堂

医王寺 現在の薬師堂

医王寺の境内にある薬師堂は、昭和22年(1947)10月に移築されたものです。

もともとは、浜松市鴨江寺の兼務寺院である、富塚の蓮養院の本堂(4間半×3間半)でした。

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大師堂

大師堂

医王寺にある大師堂は、天保4年(1834)8月に建立されました。もともとは三祖御影堂さんそみえいどうという名目で建設されています。

三祖とは、行基菩薩ぎょうきぼさつ、弘法大師空海こうぼうだいしくうかい、興教大師覚鎫こうぎょうだいしかくばんの3人のお祖師さまを指しています。

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庫裡

庫裡

医王寺の庫裡は、安政5年(1857)8月に建立されたと伝えられています。

以前の庫裡は、江戸時代後期の安政元年(1855)11月にあった安政の東海地震(M8.4)により、壊滅的な被害を受けたようです。

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客殿

客殿

医王寺の客殿は、正徳4年(1714)に建立されたと伝えられています。

もともと客殿本来の使われ方をしていたのですが、明治17年(1884)には位牌堂を増築し、普通の寺院にある本堂と同じような用途で使用しています。

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鎮守堂

鎮守堂

医王寺の鎮守堂は、天保7年(1837)11月に建立されたと伝えられています。

鎮守堂は医王寺の境内の中でも北東、鬼門の方角に位置しています。
鎮守堂の名前の通り、医王寺に降りかかるあらゆる災い事を鎮めることを目的に建立されました。

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