医王寺について

医王寺での集団疎開受け入れ 蒲田国民学校

医王寺では、昭和19年(1944)蒲田国民学校の児童、108名を受け入れています。
寝泊まりする場所は医王寺でしたが、食事の用意や洗濯など、地域の人たちが一生懸命子ども達の世話をしてくれました。家族と離れ、知らない土地で不安な気持ちになる子どもが多く、夜泣き出してしまう子もいたようです。

疎開先であったこの地方も、子ども達にとって、決して安全ではありませんでした。静岡県の御前崎付近上空が、敵機「B29」の進入コースだったため、たびたび空襲に見舞われたそうです。

医王寺の山門前での集合写真

医王寺の山門前での集合写真

医王寺の客殿での子ども達の様子 寝起きもここでしていた

医王寺の客殿での子ども達の様子 寝起きもここでしていた

 

医王寺の境内での相撲の風景 奥に見える瓦は薬師堂のもの

医王寺の境内での相撲の風景 奥に見える瓦は薬師堂のもの

子ども達の食事の様子 医王寺の庫裡の板の間にて

子ども達の食事の様子 医王寺の庫裡の板の間にて

 
尋常小学校 校庭の様子 医王寺の向かいにあった

尋常小学校 校庭の様子 医王寺の向かいにあった